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小説/第14話

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第14話 仕様の外側

第14話 仕様の外側のイメージイラスト

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シーン1 月曜の朝、五日越しの違和感

 十一月二十一日。月曜日の朝。

 千葉ハートフルケアへの訪問から、六日が、経っていた。

 オフィスの窓の外、街路樹の葉は、もう、ほとんどが落ちて、舗道の上に、薄く、茶色く、積もり始めていた。十一月の終わりの東京は、朝のいちばん最初の空気が、ひんやりと、ガラスに、当たる。

 桜子は、机の引き出しから、メモ帳を、取り出した。

 訪問の日、十一月十五日のページから、ぱらぱらと、めくる。十六日、十七日、十八日(金曜の午後、桜子は半休をもらって、母の腰の心配の電話を、長めに、した)、二十一日、月曜の朝。

 十八日のページに、桜子の字で、こう、書きかけて、止めてあった。

- 高木さんの「電話を切る前に、もう一押し、ほしい」、
  ってどういう意味なんだろう

 書いて、止めて、四日。

 桜子は、その一行に、ペン先で、軽く、丸を、つけた。

 (書ける。今日、書ける)

 なぜ、月曜の朝に、急に、書けると思ったのか、桜子は、自分でも、よく分からなかった。けれど、六日のあいだ、頭の隅で、繰り返し見えていた風景が、月曜の朝の冷たい空気の中で、輪郭を、ひとつ、得た気がした。


Part A

シーン2 三つの違和感を並べる

 桜子は、新しいページを、開いた。

 ページの上に、仕様の外側 (千葉HF 訪問より) と、書いた。

 そして、訪問のあいだ、自分の目で見た「仕様書には、書いていないけど、現場で動いていたこと」を、三つ、書き出した。

1. ホワイトボードの色付箋
   - 黄色: 対応中、ピンク: 引き継ぎ中、青: 保留中
   - 案件 ID は、付箋に手書きで、書かれていた
   - サクラサポートの管理画面では、付箋の代わりに、なに、を、見ているのか、
     誰も、教えてくれなかった

2. 朝のExcel転記
   - 担当の大滝さんが、毎朝9時に、サクラサポートからCSVをエクスポートして、
     その日の業務シフト表のExcelに、案件件数を、手で、転記していた
   - CSVは、サクラサポートの「ステータス別集計」を、そのまま、出している
   - でも、シフト表の側は、「対応中 / 引き継ぎ中 / 保留中」の3列で、
     ホワイトボードの付箋と、同じ並び
   - つまり、CSVの「ステータス別」と、業務側の「3列の並び」が、
     ずれている

3. 高木さんの「電話を切る前に、もう一押し、ほしい」
   - サクラサポートの「顧客満足度の入力」が、
     画面の右下の、目立たない位置にある
   - 担当者は、電話を切ったあと、画面の中央のステータス更新ボタンを押す
   - その流れで、右下の満足度入力に、目が、行きにくい
   - 「もう一押し、ほしい」は、たぶん、画面の側で、入力の導線を、
     もう一段、押し出してほしい、という意味

 書きながら、桜子は、自分の手が、思ったより、よく、動くことに、驚いた。

 六日間、書けなかったのに。


シーン3 翔太とのIssue粒度の議論

 昼前、桜子は、隣の翔太に、声をかけた。

「中村くん、ちょっと、相談、してもいい?」

「ん」

「Issue、起票したいんだけど、粒度で、迷ってて」

 桜子は、メモ帳の、三つの観察を、翔太に、見せた。

 翔太は、最初の 1. ホワイトボードの色付箋 の項目を、ざっと読んで、軽く、肩をすくめた。

「これ、システム外、だよね?」

「うん」

「色付箋は、向こうの社内ルールで、向こうがやってる運用、でしょ。サクラサポートのIssueに、これ、起票していいの?」

「うん。たぶん、そう、見ると、入れない、んだけど」

 桜子は、メモ帳の、サクラサポートの管理画面では、付箋の代わりに、なに、を、見ているのか、誰も、教えてくれなかった の一行を、指の先で、軽く、押さえた。

「付箋が必要、ってこと自体が、たぶん、サクラサポートが、拾えていない情報がある、っていう、証拠なんだと思う」

「……」

 翔太は、半秒、口を、開けたまま、止まった。

 桜子は、その半秒のあいだ、息を、吐かないで、待った。

「望月さん、それ、いいかも」

「あ、そう?」

「うん、そう。Issue、僕も、粒度、考え直す」

 翔太は、自分のPCに戻りかけて、もう一度、振り返った。

「望月さんが起票するなら、Issueタイトル、現場の付箋に相当するメタ情報の保持を検討 みたいな、相当する を入れた書き方が、たぶん、誤解されにくい。付箋を実装する だと、UI実装の話になっちゃうから」

「ありがとう、それで、書いてみる」

 翔太は、コーヒーカップを、軽く、挙げて、自分の席に、戻っていった。

 桜子は、自分のメモ帳の、その一行に、薄く、(中村くんの言い回しを採用) と、書き加えた。


Part B

シーン4 三件のIssueを書く

 午後、桜子は、Issueテンプレートを使って、三件、起票した。

#214: ホワイトボード付箋に相当する案件メタ情報の保持を検討

### 現場で見た事実
- 千葉HFのサポート部屋に、ホワイトボードと色付箋がある
- 黄色: 対応中、ピンク: 引き継ぎ中、青: 保留中
- 案件ID は、付箋に手書きで書かれている

### 現場の人の言葉
- 高木さん: 「これがないと、対応中の人の手が、空いたとき、誰に振るか、
  決められない」(訪問日 11/15)

### 自分の仮説
- サクラサポートの「ステータス」フィールドは、
  「対応中 / 完了 / 保留」の3値しか持っていない。
  「引き継ぎ中」が、欠けている。

### 自分では決められないこと
- 「引き継ぎ中」を、ステータスとして増やすか、
  別のメタ情報 (担当変更履歴) として、扱うか
- 他社 (アルファ商事、ベータ運輸など) の運用と、整合するか
#215: 朝のCSVエクスポート形式を業務手順に合わせる

### 現場で見た事実
- 千葉HFの大滝さんが、毎朝9時に、CSVエクスポート
- エクスポートしたCSVを、業務シフト表のExcelに、手で、転記している
- CSVのヘッダ: ステータス, 件数 (1列に集計)
- シフト表のヘッダ: 対応中, 引き継ぎ中, 保留中 (3列に分かれている)

### 現場の人の言葉
- 大滝さん: 「毎朝、9時の、これが、ちょっと、地味に、しんどい」
  (訪問日 11/15)

### 自分の仮説
- CSV側で、3列に分けたフォーマットを、もうひとつ、追加すれば、
  転記作業の半分は、なくなる
- ただし、#214 のステータス整理が、先に必要

### 自分では決められないこと
- CSVフォーマットの追加を、どう運用するか (既存連携への影響)
#216: 顧客満足度入力導線のUX再設計

### 現場で見た事実
- サクラサポートの「顧客満足度入力」は、画面右下に配置
- 電話終了後、担当者は中央の「ステータス更新」ボタンを押す
- その流れで、右下の入力に、目が行きにくい

### 現場の人の言葉
- 高木さん: 「電話を切る前に、もう一押し、ほしい」(訪問日 11/15)

### 自分の仮説
- 入力導線を、ステータス更新と並べる、もしくは、ステータス更新の
  ダイアログ内に組み込む形にすれば、入力率が上がる可能性

### 自分では決められないこと
- UX変更時の他社 (デルタ製薬、アルファ商事) への影響
- 入力率向上が、業務負荷を増やしていないかの判断軸

 三件、起票して、保存した。

 Issueボードに、桜子の名前で、三件のチケットが、並んだ。

 桜子は、いったん、ペットボトルのお茶を、軽く、飲んだ。

 手の指が、すこし、かじかんでいた。


シーン5 ユーザー観察メモという、もう一つの形

桜子の肩越しに見えるノートPCの画面に社内wikiの観察メモが開かれ、キーボードの脇に走り書きの残るメモ帳が置かれている

 Issueを三件、書いてから、桜子は、すこし、息が浅いことに、気づいた。

 なぜなのか、しばらく、分からなかった。

 社内wikiを、開いた。

 訪問のあとに、桜子は、メモ帳のいくつかのページに、Issueの形には、まだ、ならない、文章を、いくつか、走り書きしていた。

- ホワイトボードの色付箋。黄色のほうが、ピンクより、上の段に、貼られていた。
  上の段ほど、優先度が、高い、ということだったらしい。
  でも、誰も、そのルールを、声に出して、説明はしていなかった。
  入った直後の新人は、たぶん、二週間くらいで、空気で、覚える。

- 部屋のコーヒーの香り。空調が強めに効いていて、ブラウスの袖口が、
  ひんやりした。電話の音は、思ったより、整然と、層になっていた。
  互いの声が、踏まないように、間合いが、できていた。

- 高木さんの目元。鈴木さんに「望月さん、深夜に止めてくださって、
  ありがとう」と言ったときの目元の温度は、
  業務の人の目と、自分の家族の目の、ちょうど、半分くらいだった。

 Issueには、入らない。けれど、捨てられない。

 桜子は、社内wikiに、新規ページを、切った。

 タイトルは、千葉HF訪問 ユーザー観察メモ (2022-11-21)。

 ページの冒頭に、桜子は、こう、書いた。

このメモは、Issue #214 / #215 / #216 の根拠として、
そこには書ききれない、現場の文脈・空気・組み合わせを、
そのまま、記録するために、置きます。

数字や、要件で、再現できない部分が、書かれています。
読み手は、Issueの判断に行き詰まったときに、ここを、参照してください。

 その下に、桜子は、メモ帳の走り書きを、ほぼそのままの順で、文章に、戻した。色付箋の上の段。コーヒーの香り。空調の温度。電話の音の層。高木さんの目元。

 保存して、ページを、閉じた。

 息が、すこしだけ、吐けるようになった。


Part C

シーン6 鈴木の「ありがとう」と遥の「使い方」

 夕方の、十六時すぎ。

 桜子は、#214 のIssueの本文の、関連 の欄に、ユーザー観察メモのリンクを、貼った。それから、#214 #215 #216 の、それぞれのスレッドに、鈴木と遥を、メンションした。

@mochizuki-sakurako: 11/15 千葉HF訪問の観察を、
3件のIssueと、1本の社内wiki観察メモに、整理しました。
ご確認ください

 鈴木の返事は、すぐ来た。

@suzuki-kenichi: 桜子さん、六日越しか。ちょうどよかった。
来週木曜、千葉HFと、月次定例レビューがある。
#214 と #216、議題に入れさせてもらっていい?

 桜子は、はい、ぜひお願いします と、返した。

 遥の返事は、十分くらいしてから、来た。

@yamashita-haruka: 観察メモの形、いいね。
Issueに分割すると、消えてしまう情報を、
別の形で、残すという発想。
これ、社内wikiのフォーマットにしたい。
他の顧客訪問のあとも、同じ形で、書いてもらおう

 桜子は、ありがとうございます。フォーマット化、お手伝いします と、返した。

 画面を、しばらく、見つめた。

 鞄のなかに、千葉訪問の日に、高木さんが、桜子に手渡してくれた、千葉ハートフルケアの社内パンフレットが、入ったままだった。

 パンフレットの、ざらっとした紙の感触を、桜子は、まだ、覚えていた。

 手書きの色付箋。Excelの転記。「電話を切る前に、もう一押し、ほしい」。

 パンフレットの中の、写真には、笑顔の社員さんたちが、何人も、並んでいた。


Ending

シーン7 退勤前、メモ帳の更新

 十八時半。

 退勤前、桜子は、机の上のメモ帳を、もう一度、開いた。

 今日のページの、いちばん下に、桜子は、走り書きで、こう、書いた。

2022/11/21 新人日記

- 起きたこと:
  千葉HF訪問の違和感を、Issue3件と、観察メモ1本に変換
- 覚えたこと:
  - 仕様書に書かれていないこと、は、システム外、ではなく、
    システムが拾えていない情報、と、見直す
  - Issueに分割できない情報は、観察メモという、もう一つの形に残す
- つかえているところ:
  自分が、3件のIssueの、優先度を、つけられない
- 明日の最初の一手:
  鈴木さんに、来週の千葉HFレビューで、
  3件のうちのどれを優先議題にするか、相談する
- 今日の学び:
  仕様書に書かれていないこと、を、仕様書に戻す回路は、
  自分の手の中に、ある (まだ、完璧には、繋がっていない)

 ペンを、置いた。

 桜子は、メモ帳の、仕様書に書かれていないこと、を、仕様書に戻す回路 の一行を、しばらく、目で、追った。

 書きながら、桜子は、その回路が、自分の手の中で、まだ、配線が、何本か、ぶら下がっている状態であることを、ちゃんと、見ていた。

 完璧では、ない。

 けれど、配線の口は、自分の手の中に、ある。

 窓の外、十一月の冷えた夕暮れ。歩道に積もり始めた落ち葉の上を、自転車が、軽く、走り抜けていった。

 桜子は、メモ帳を、閉じて、退勤の準備を、始めた。

 明日の朝、また、五分だけ、駅前のカフェで、書こう、と、思った。

 書きながら、配線の口を、もう一本、ちゃんと、繋ぎ直そう、と、思った。